足元にある自治と向き合う
この数年、「コモンズ」というキーワードが叫ばれるようになりました。
コモンズという言葉そのものは、ギャレット・ハーディンが1968年に発表した「コモンズの悲劇」(多くの人たちが利用できる共有資源が乱獲され、結果として資源が枯渇してしまうという経済学の理論)が知られているかもしれません。
一方、ハーディンの理論を反証する形で、エリノア・オストロムは共有資源の管理において政府や市場ではなく、資源を管理するコミュニティやセルフガバナンスによる補完的役割を果たしたときに最も効果的で中長期的な維持が可能だという理論を発表しています。
オストロムは公共財および共有資源の自主管理(セルフガバナンス)において、長期間持続する制度には、次のような設計原理があると論じています。
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境界:公共財や共有資源から資源を引き出す個人もしくはその家計と共有資源の境界が明確である。
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地域的条件との調和:専有ルールが供給ルールと調和している。
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集合的選択の取り決め:運用ルールの影響を受ける個人の大多数は、運用ルールの修正に参加できる。
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監視:公共財や共有資源の条件と専有者を検査する監視者は、専有者に対して責任がある。
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段階的制裁:運用ルールを侵害する専有者は制裁を受ける。
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紛争解決:専有者間もしくは専有者と当局者の紛争を解決するために、安価な費用の地方領域に接する。
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組織化する権利の承認:制度を構築する専有者の権利は、外部の政府当局によって異議を申し立てられない。
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組み込まれた事業:より大きな体系の一部である公共財や共有資源に関しては、専有、供給、監視、強制、紛争解決ルールは多層の事業で組織化される。
オストロムが書いたまさしくこれらのセルフガバナンスに関する著書が多く、『Governing the Commons』はオストロムの考えが整理された一冊といえます。(色んなところでオストロムの考えは登場するも、翻訳の書籍としてはいまだ存在せず)
単純なコモンズの悲劇化ではなく、ゲーム理論を用いた実験によって、自主管理の協力行動が積み重なることによる自発的な制度の自己組織化が生まれるセルフガバナンスという考えは、いま、コモンズという言葉が注目される理由である「自治」という言葉ともリンクしてきています。
近年、オストロムへの注目が高まっているようにも思え、aeonではオストロムの活動をフォーカスした記事が掲載されており、オストロムの考えがその成果がしっかりとまとまっています。
足元にある自治と付き合えるか
昨今、自分達の力でまちをより良くしようとする意識、態度、行動が高まり、その結果として「自治」という言葉が使われるようになっています。自治への関心や高まりが出てきていることはとても喜ばしいと同時に、自治の先にある民主主義という言葉との距離感をどうつかんでいくべきだろうか。
私が住む地域では自治会が活発で、毎月第一土曜日に地域の清掃が行われています。私もタイミングがあえば第一土曜に家の周辺やエリア内の清掃をするし、第一土曜に仕事などの都合でできかくても、空いた日などに掃除をできるだけしようと思うし、近所の方々も気がついたら家の前を掃除することが多いように思えます。
そうした清掃活動とは別に、定期的に裏にある森の小道の手入れなども自発的に行っています。また、早朝のラジオ体操、その後の散歩が地域の人たちの日課になっています。私はたまにしか行けていませんが、妻は定期的に朝の散歩で近所の方々と話をしており、そこで色々なコミュニケーションが図られているようです。
それにしても、近所の人たちは道すがらで会ったら、よく話かけてくるし、子どもを連れてバス停で待ってる時には、子どもに話しかけてくる人も多い。ちょっとした挨拶や顔見知りになることでの安心感はとても心地よい。
引っ越ししてまもなく、朝の散歩でお会いしたご近所の方からのお声がけで、自治会の活動の一環として、裏手にある森の小道整備に参加することになりました。エリアの裏にある森はたしかに鬱蒼と茂っているわけでなく、また、小道沿いにはしっかりと木や竹などを使って道が整備されています。
本来、こうした森は行政による整備が入るのだが、資金面的に厳しい自治体ではそうした場所への手入れに予算を割けずらく、住民自治の支えによってなりたっているのが現状です。近所に長年森の手入れを行ってきた人物が住んでいて、その人が中心となって活動しています。整備では、竹藪から竹を切り出してその竹を短く切って杭にし、竹の杭と長めの木をロープで結びつけて小道を整備しています。小道整備がされないと、歩いていい場所とそうでない場所が分からなくなるため、歩きやすいように沿道整備は欠かせません。
また、先日の朝の散歩時に話題になったのは、森のリスをどうするか、ということでした。野生化し繁殖したタイワンリスによる害獣被害をどうするか、行政と連携しながら取り組んでいるという。タイワンリスを捕獲するため罠を設置し、自治体に届けているとのこと。他にも、春先には立派な桜並木が並んでいて、50年経った桜の手入れや補修も行っています。そのおかげで、春先には立派な桜が咲き乱れ、近所の方々やそれを目当てに来訪する観光客もいるほどの名所にもなっています。
小道整備もリス対策も桜の手入れも、決して大それたことでもない。けれども、こうした小さな積み重ねがなければ、桜は朽ち、森は荒れ鬱蒼とした状態になり、人がますます寄りつかなくなります。そうすると、このエリアに住み続けたいと思う人も減ってくるかもしれません。今でも自分達の手で維持管理しているという姿は尊敬に値します。
あらゆる活動において、保守運用やメンテナンスという、目に見えない活動はとても重要なものだ。事業をするにせよなんにせよ、こうした足元の基盤があってこそであり、普段、安心安全が当たり前に思うのは、そうした基盤がしっかりしているからこそ成り立っているのだということに、改めて気づかされます。
本来であれば行政がすべきことかもしれません。しかし、すべてを行政がまかなうということも現実的には不可能です。だからこそ、こうした「自治」のあり方がその隙間を埋めるような形で存在しています。行政の活動と自治活動というのは、まさしく補完関係にあり、地域住民らが自分達で工夫しながらより良いものへと手を加える余地があることによって自治が生まれてくるのだと思います。
こうした目に見えない積み重ねは、えてして光があたりづらいものにも思えます。しかし、確実に、着実にそうした「自治」活動が実を結び、地域の安全や安心が担保されているということに意識を向けるべきではないでしょうか。オストロムが唱えるセルフガバナンスの取り組みは、実は至る所に眠っているような気がします。
先日、インタビューした対談でも、民主主義という大きなテーマに関して、ついつい大きな主語で語りたくなるなか、足元にある小さな自治に目を向け、そこにある多様さを維持していくことが、ひいては民主主義にも連なっている、というような趣旨をまとめました。
小さな自治と向き合うことをないがしろにしないこと、そこから民主主義は生まれると私も思います。
最近関わった仕事
ここ最近に関わった仕事や記事などをご紹介いたします。
隅田川自治β
上記の記事中でも触れた、自治のあり方について8つのインタビュー記事を編集しました。
企画しているNPO法人トッピングイーストは、オリンピック・パラリンピックと連動した文化プログラム「隅田川怒涛」を企画した団体で、隅田川怒涛を通じて見えてきた隅田川流域地域のこれからの自治について考えるためのリサーチして「隅田川自治β」というプログラムの一環で8組の人たちにインタビューしたものです。
共同売店について、Yahoo!個人に記事を掲載
このニュースレターでも以前ご紹介したことがある、沖縄に100年以上続く相互扶助の取り組みである「共同売店」についてYahoo!個人に記事を掲載しています。おりしも、今期の朝ドラの舞台が沖縄で、共同売店がドラマ中でも登場することから、共同売店への注目も高まっているようです。
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