NIMBYが持つ公共性への問い、そこにある当事者性 #15

前回に続きで、NIMBY(Not In My Back Yard)をテーマに、今回は、NIBMYが持つ公共性や当事者性について深掘りしています。
江口晋太朗 2022.12.30
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社会的コストを払いたくないという意識

前回に続いて、NIMBY(Not In My Back Yard:我が家の裏庭に置かないで)についてです。

NIMBYとは、社会的に必要だと理解しつつも、自分の近くには来て欲しくないというものです。ここでポイントは「“我が家の裏庭”に置かないで」というところで、CIMBY(Come In My Back Yard:我が家の裏庭に来て!)とはならないのがキモです。

NIMBYを主張する人は、その施設の必要性を受け入れているものの、自分の家の近くには設置してほしくない。つまり、その言葉の裏には、その施設によってもたらされる利益を享受することは受け入れつつも、施設の設置によって誰かが被らなければいけない被害を受けたくはなく、ある種のフリーライドなものでありたいという気持ちがそこには存在します。

NIMBYを訴える人は、その施設の必要性は受け入れています。必要ないとは思っていません。それなのに、自分の家の近くにあるのはイヤ。つまり、誰か自分以外の人が犠牲となることを是としていると言い換えできます。

自分以外の人にイヤなものを押しつけ合う行為は、逆の立場から見ると、他の人にとってもその施設は来て欲しくないわけで、結果的に、あらゆる人によって、社会的なコストをできるだけ避け、苦痛や面倒事を押しつけ合う様が見えてきます。

社会学者の大澤真幸は、NIMBY問題の直接的な原因として高齢者が増加していることをあげると同時に、日本人の感覚において、死語にも続く「ヴァーチャルな生」がないことを指摘しています。大澤は、自分が死んだ後を生きる後の世代が、この施設によって幸せになり、その形によって自分自身も幸せになり、そうした幸せを感じる「」は、死後もヴァーチャルな生を生きているという感覚が機能しなくなるときに、人はNIMBYとなる、と言います。つまり、自分という存在と他者との存在、およびその時間軸、そして現実世界における生活というものをどのように捉えることができるか、その想像力が衰えてきているからNIMBY問題が発生すると言います。

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